青木仁志氏インタビュー

「頂点を目指す生き方 ~世界最高峰の人材教育コンサルティング会社へ~」第2回

聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎

 1987年、人材教育コンサルティング会社「アチーブメント株式会社」を創業した青木仁志氏は、目標達成のプロフェッショナルとして19年間にわたり「戦略的目標達成プログラム『頂点への道』講座」を連続500回以上開催し、2万人を超える方々の研修をしてきました。インタビューでは、青木氏の人生の歩みを振り返っていただきながら、人生哲学や信念、アチーブメントの経営についてお話いただきました。

■犬付きでリクルートされる

― 最初に起業した会社をたたまれた後、ブリタニカ*1に入社されたきっかけを教えてください。

 当時ドーベルマンという犬を飼っていたんです。会社を始める前は歩合で結構稼いでいたので犬も買うことが出来たのですが、会社をクローズして飼えなくなってしまったんですよ。それで、犬を誰かに譲ろうと思っていたら、親しくしていた犬屋の社長の親戚の方が買ってくれることになりました。その親戚の方が、木村さんというブリタニカのトップマネジャーだったんです。
 木村さんはもともと犬を買いにいらしたんですけれども、私自身に興味を持ってくれたんですね。20代前半で、すごく前向きで、会社をやって借金までを抱えるという経験をしていたからだと思います。それと木村さんは、その親しかった犬屋の社長の親戚ですので、私が一時期犬屋を手伝って、営業部長のようなことをしていたのも聞いていたんだと思います。当時、ペットのローンがまだない時代だったにも関わらず、20万円くらいの高額な犬をたくさん売っていました。さらに、買ってくれたお客様に犬を届けに行くついでに、犬と同じくらいの金額の缶詰(エサ)も買っていただくような営業プロセスを考案して、販売を伸ばしていたんです。そういう話を聞いて、なかなか見込みがありそうだと思ってくれたんだと思います。
 それで、木村さんにお会いしたときに「青木くん、将来どうなりたいんだ」と聞かれたんです。私は犬が大好きでしたから「日本一の犬屋になるのもいいですね」なんて答えたら、すごく面白いことを言われたんですよ。「在庫が大きくなるような商売はやめろ」と。そして、犬屋の親戚なのに、親戚の会社を手伝っている私をリクルートしてきたんです。彼の車を見たら、アメ車でかっこ良かった。当時は、だいたい車に惹かれましたね(笑)。「僕は年収1億円以上とっているんだよ。君もブリタニカで絶対そうなれる」と言われたんです。ただ勤務地が大阪だったので、大阪まで行くのはどうかなぁと悩んでいたんですが、「大阪でその犬を僕が飼うから、犬と別れなくていい」と言って、犬付きでリクルートされたんですよ。さらに、東豊中市というところに一軒家まで借りてくれたので、結局、犬付きでブリタニカに入ることにしたんです。笑ってしまう話ですよね。

■「育成力」を身につけた

― 17歳で社会に出て、20歳で最初の起業をされ、会社をたたまれたのが23歳のときと伺いました。ブリタニカに入られたのもその頃でしょうか。

 そうですね。23歳か24歳の頃でした。ブリタニカに入って、最初は全然結果が出なかったんです。1ヶ月やって全く売れませんでした。ちゃんと自分で納得した商品じゃないと売れない性格でしたから、商品知識が割と理屈っぽく感じて、売れずに壁にぶつかっていました。辞めようかなと考えていたら、私をリクルートしてくれたマネージャーの木村さんに「青木、良からぬことを考えているだろう」って言われて、「なんでですか」って聞き返したら、「顔に書いてあるぞ」と見抜かれていました。
 そのときに、「自分が出来ないという自信と、俺がお前は絶対出来るという自信と、どっちの自信に自信を持つんだ」と聞かれて、「マネージャーの自信に自信を持ちます」と答えたんです。本当に当を得たことだったんですけれども、「余分なことは考えるな。俺は多くのメンバーを育ててきたんだ。俺が言ったとおりやって結果が出なかったときに悩み出せ。それまではやることだけに焦点をあてろ」と言われたんです。見事な一言ですよね。
 それで、私はパーンと閃いたんです。腑に落ちました。木村さんから、マーケット×セールス技能×有効面談件数*2という方程式が、ブリタニカの伝統なんだと教わりました。「お前の一番の問題は、商品知識が足りないから売ることに対して自信を持てないことだろう」と指摘され、まさに図星だったんです。だから、まず商品知識をしっかりと頭に入れること。次に、良いマーケットを開拓すること。見込み客開拓の能力を身につけることがセールスの生命線だから、俺がお前に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えてやる。それで結果が出せなければ、フルコミッション*3の世界は難しいとも言われました。
 話を聞き終えて、私はなるほどと思ったんです。もともと営業力はありましたので、マーケット開拓のやり方*4を教えてもらい、商品知識が入って、自分の中に納得感が持てるようになったことで、道が開けるようになりました。それから急に快進撃が始まったんです。まさにトップセールスになり、最年少でマネージャーになり、自分の部下から世界一のセールスマンが二人出て、ニュー・キャリア・アワードという国際新人賞を獲ったんです。私は、どちらかというと、新人を育てることが得意だったので、今考えるとその頃から人材育成の仕事をやっているようなものでした。
 ブリタニカで得たものは、たくさんの収入を得られるようになったことでも、それによって借金を返済できたことでもないんです。そんなものはどうでもいい話です。一番大きなものは「育成力」を得たことです。「売る力」と「売らせる技術」と「人材を育成する技術」、この3つを身につけたことが打ち出の小槌になって、私の人生を支えているんです。フルコミッションの世界でやってきて、マネージャーになって、毎日その3つに関する研修をしていたようなものでした。毎日会社にいて、365日研修みたいなものでしたから。それを何年も続けて、実力をつけていきました。

■能力開発の分野に入る

― ブリタニカの次にヘッドハンティングされて入社した教育研修会社でのことや、再度独立されるまでのことを教えてください。

 29歳のときに、夏目志郎さんという、ブリタニカ出身で世界的な教材販売会社のトップセールスとして活躍されていた先生とご縁がありました。夏目先生が設立した会社では、ブライアン・トレーシー*5という国際的なコンサルタントの日本の総代理店をしていて、その会社にヘッドハンティングされたのです。ブリタニカは狩猟型の仕事でしたから、もっとお客様の立場にたった仕事をしたいということで、能力開発の分野に入ったんです。
 その会社にマネージャーとして入社して、3年間で売上を7倍にしました。マネージャーから営業本部長になって、最後は取締役を務めさせていただきました。その会社では能力開発の教材を販売していたんですけれども、それに加えて研修をするようにしたんです。またここで研修が出てくるわけです。ブリタニカ時代から、セールス、セールスマネジメント、パーソナルディベロップメントという3つの強みを磨き続けてきた賜物が「研修」「育成」なんです。教材だけを売っていた頃は、そんなに業績は伸びなかったんですけれども、教材に研修を付け足すことで売上を伸ばすことができたんです。ロバート・シュラー*6、可能思考*7、ブライアン・トレーシーなどの講座のチーフトレーナーをそこで長くやらせていただいて、プロのトレーナーとしてのキャリアを積みました。
 夏目先生は、教材を中心に売っていこうとされていましたが、私は、顧客満足をもっと高めることが大事だと思いましたので、研修で納得感を得ていただくようにしていました。今もそれは変わらないんですけれども、とにかく「人は人によって磨かれる」という考えで、行動が変わるところまでアフターケアをしなければいけないと思ったんですね。だから、すごくこだわりをもった研修をやり続けたんです。それで、営業に携わる受講者たちが、「この研修は効果がある」と確信を持ってくれるようになりました。売上も必然的に伸びました。
 けれども、私のやり方はケアしすぎなんじゃないかと、アフターケアに対する考え方に会社と私の間で微妙な違いが出てきました。結局、円満に退任し、のれん分けのような形で、代理店として独立させていただくことになり、有限会社TBRアチーブメントトレーニングセンターを創業したんです。特に、営業教育に強みをもつ会社として始めました。

■「選択理論」との出会い

― 「選択理論*8」心理学を基礎理論とした現在の人材教育コンサルティングは、どのように誕生したのでしょうか。

 夏目先生の会社のアドバイザーのお一人に、柿谷カウンセリングセンター所長の柿谷正期先生*9(現・立正大学心理学部教授)がいました。私が独立して、人材教育のトレーニング事業をしていましたところ、柿谷先生のご紹介で、リアリティ・セラピーというカウンセリングの講座を受けたんです。
 これが「選択理論」との出会いになりました。この講座を受けたときに、これは日本に広める必要があると何か閃きました。選択理論では、あらゆる問題行動の本質は「不幸感」にある、そして、人が何故不幸かといえば、「自分が重要と思う人との関係が確立できていないことにある」と言っています。まさにその通りだと思ったんですよ。
 私の子供時代を振り返ると、3歳で両親が別れて、父親はほとんど帰ってこないし、義理の母に育てられて、腹違いの妹とは一緒に遊んじゃいけないと言われていました。この年齢になるとあの頃の経験もすべてが幹となったと感謝していますし、義理の母にも感謝しています。でも事実、いつもではなかったけれども、私だけ冷たいご飯が多かった。冷たいご飯っていうのは、体験してきたことの1,000分の1くらいのものですが、ひもじい体験でした。けれども、これが私のパワーの源なんです。子供の頃から、すごくハングリーでした。劣等感、コンプレックス、いろんなものが渦巻いていました。リアリティ・セラピーを受けて、選択理論や脳の仕組みを聞いたときに、「そうだ、これだ」って思ったんです。それで、「選択理論」を基にした研修ビジネスをしていきたいと思い、1987年にアチーブメント株式会社を設立しました。

写真左が青木氏、右がグラッサー博士(1989年、青木氏34歳当時の写真)
 [提供:アチーブメント株式会社]

第3回へ続く

[撮影:大鶴剛志]

*1 1768年、アンドルー・ベル、コリン・マックファーカー、ウィリアム・スメリが、エディンバラ(スコットランド)にて、百科辞典の編集を始め、1771年に『ブリタニカ百科事典』初版が完成した。ブリタニカは、百科事典をはじめ、デジタルコンテンツなどを販売する世界的組織。
*2 購入決定権をもつ人、いわゆるキーマンとセールスステップの上がる面談をした件数
*3 完全歩合給による給与形態。給料が保証されているサラリーマンとは異なり、自身の成果(業績や売上など)と収入が完全に連動している。
*4 アチーブメントでは、青木氏が培ってきた営業力強化のノウハウを全27セッションにまとめた『アチーブメント・セールス・スキルアップ・プログラム』(CD/DVD)を販売している。
*5 アメリカでもっとも有名なスピーカー、トレーナー、コンサルタント。「成功の哲学」で知られ、独力で身を起こした「叩き上げの億万長者」でもある。著書に、『大富豪になる人の小さな習慣術』『頭がいい人、悪い人の仕事術』『フォーカルポイント』など多数。
*6 アメリカの牧師。ニューソート(新しい人生の考え方)の第一人者。本拠のクリスタル・カテドラルは建築物としても有名。主著に稲盛和夫氏が監訳した『いかにして自分の夢を実現するか 思いどおりの人生を築くためにすべきこと』などがある。
*7 「プラス思考」「前向き思考」「ポジティブ・シンキング」などの総称のこと。
*8 人は外からの刺激ではなく、内から動機付けられて行動を選択するという心理学の理論。「選択理論」心理学の大家は、ウィリアム・グラッサー博士である。
*9 1942年満州生まれ。島根県出身、元通信産業省事務官。ウィリアム・グラッサー博士が提唱する選択理論の研究者であり、臨床心理士、精神保健福祉士。現実療法認定カウンセラー。『グラッサー博士の選択理論 – 幸せな人間関係を築くために』の翻訳者でもある。

「頂点を目指す生き方 ~世界最高峰の人材教育コンサルティング会社へ~」 全4回