「創造と変革の志士たち ~人をつくり、知恵を広げる~」第1回
聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎
株式会社グロービスは、1992年の創業以来、「ヒト」「カネ」「チエ」のビジネスインフラの構築を掲げ、成長発展を続けています。「チエ」にあたる出版事業の出版局長兼編集長を務める嶋田毅氏に、累計120万部のロングセラー『グロービスMBAシリーズ』(以下、MBAシリーズ)の誕生秘話や今後の出版事業の戦略、ご自身の近著『利益思考』、同社の成長を支えるカルチャーなどについてお聞きしました。
■世の中のビジネス・リテラシーをより高めていく
― はじめに、どういう経緯でグロービスに入られたのか教えていただけますでしょうか。
元々は、コンサルティング会社にいました。いわゆる戦略コンサルの会社にしばらくいまして、結局ビジネスって最後は人だなということを非常に感じていました。ビジネスを作るのもやるのも人なので、人が納得して仕事をするとか、高いモチベーションで働けるとかが、ビジネスをしていく上で重要な鍵ではないかと感じていたんです。
その後、グロービスに参加する前に外資系の事業会社に移りました。そこでの経験によって、「ビジネスは人」ということへの意識がさらに強まりました。外資系だったので、ある意味、非常にドライなところがあったんです。でも、中にいる人はほとんどが日本人でしたから、ウェットな部分もあって、ほかの多くの会社でも少なからず見られるように、会社の仕組みや制度と働いている人の意識が一致していなかったんです。頑張れる人がいる一方で、ちょっと合わないとか、ポテンシャルを発揮しきれていない人が結構いるなと感じていました。会社の仕組みを変えたり、もう少し個人へのスキル・インプットをすれば、もっとパフォーマンスを出せるんじゃないかと感じて、ビジネスって結局人だなという意識を強めていました。
そのようなとき、創業してから日も浅いグロービスに、たまたまコンサル会社時代の知人が2人いて、おもしろい事をやっているなと思っていました。今は、経営大学院ってたくさんできましたけれども、当時は慶應ぐらいしかなかった。そういう時代に、正式な経営大学院ではなかったんですけれども、ハーバード流の経営学をしっかりと教えようとしていました。また、その教育手法を企業研修に展開していこうとしていたんです。
経営人材育成のビジネスについては、それまでの私の感触としてもニーズがあると思いました。当時の経営書というと、学者さんが書いた硬くて読みにくいものや偉い人の自伝のようなものがまだまだ主流でした。もう少し人を育てるとか、啓蒙というと上から目線になってしまいますが、世の中のビジネス・リテラシーをより高めていくことって、すごく価値もあるし、ニーズもあるだろうなって思ったんです。それで、創業したばかりではあったんですけれども、ベンチャーもおもしろいかなと思って、参加することにしました。
― それは何年のことでしょうか。
1994年です。29才でしたからまだ若かったですね。代表の堀が住友商事のなかで、本業と並行して事業を始めたのが1992年の1月で、正式に会社を設立したのが同年の8月9日。私が参加したのは、創業から1年半ぐらいのときです。今に比べれば本当にずいぶん小さな事務所でした。
― 入社当時は、何人ぐらいいらしたのでしょうか。
私は社員番号5番なんですけれども、私の入った頃は、そもそも社員番号という制度が無くて、社長から順番につけましょうとそのとき正式に始まったんです。余談ですけれども、私がグロービスに入ってからしばらくの間、フルタイムの経理スタッフもおらず、年金も数カ月分抜けているんですね(笑)。年金については、当時は会社としても全然頭が回らなかった。大した話じゃないんですけれども、そういう時代のベンチャーに入ったんです。
実際やってみると、やっぱり教育っておもしろいなと思います。非常にハードな予習を課して、ディスカッションをして、気づきを得るという学ぶ過程で、受講生は根気負けしないタフネスみたいなものを身につけていきます。事前、事後で、マインド面、スキル面の変化を見るのは、なかなか楽しいことです。世の中にとっても価値があるし、おもしろいビジネスだなというのは、1994年に入社して以来ずっと感じています。
― 入社された、最初の頃はまだ教育の部門だけだったのでしょうか。
私が入った頃は、今みたいに部門がそんなにきっちり分かれていなかったんです。たかだか数人でしたけれども、スクール担当だとか、研修担当とか、法人営業担当とかはありましたし、合間をぬってみんなでプロジェクトチーム的に本も書くという感じでした。私が担当したのは、主にスクールのカリキュラム関係です。今では社内に専任部隊が何人もいますけれども、当時は、とりあえず責任者になって、外部講師の方とお話をしながら作っていきました。また同時に、研修でもオリジナルの教材を作らなければいけないという案件もあり、そのプロジェクトリーダーも務めました。弊社では「コンテンツ」という言い方をしますけれども、コンテンツがらみの仕事を最初に担当しました。
― では最初から、ある意味今の仕事に近しいところを担当されていたのですね。
そうですね。コンテンツ周りの仕事が多かったと思います。
個人的な志向としても、オペレーショナルなことをやるよりは、どちらかと言うと、何かを生み出すとか、考えてまとめていく仕事の方が割と好きなので、そういうことをメインにやってきました。今は本をメインにやっていますけれども、その間には、例えばライセンシングとか、通信教育とか、テストとか、いろんな仕事を担当しまして、それぞれ非常におもしろかったです。
■『MBAマネジメント・ブック』のイメージは参考書だった
― 最初の本を出されたのは、何年のことでしょうか。
最初の本は、私が入社した1994年に出した『ファイナンシャル・マネジメント』という翻訳書です。グロービスの書籍の第一号なんですけれども、たぶんそれを知っている人は社内でもほとんどいません。
ちなみに、なぜグロービスが本をたくさん出していくことになったのかというと、当時、日本に良い経営学の本が無かったからなんです。戦略の本だったら、分厚いポーターの『競争の戦略』や『競争優位の戦略』をそのまま教科書に使っていました。マーケティングだったら、コトラーという有名な人がいるんですけれども、彼の『マーケティング原理』という教科書は当時9,800円で、よく書けてはいても本当に分厚い。そういう教科書の翻訳版をそのまま使っていたんです。もちろん経営学が日本とアメリカでそんなに違うわけではないと思います。ただ、やはり翻訳書になると、どうしてもアメリカの事例が多いですし、読んでいて少し隔靴掻痒(かっかそうよう)の感がありました。日本の読者にとって、より読みやすい本をどんどん作っていきたいという思いは最初から持っていたんです。そうは言っても、書き下ろすというのはなかなか大変でしたので、最初は翻訳本を出しました。『ファイナンシャル・マネジメント』は、堀がハーバードに行ったとき、最初に読んで、頭にすらすら入ったということで、彼の気に入った本をまず翻訳して出したんです。
その後、ベンチャーの領域に非常に力を入れていきました。その時に、あまり良いベンチャーの教科書がなかった。だったら、自分たちで作ってしまおうと考えたのです。ファイナンスですと、もちろん市場の環境とかは違いますけれども、経営学としての体系やエッセンスはそんなに変わるわけではないと思います。でも、ベンチャーの場合は、アメリカのものを翻訳しても、日本とは全然状況が違うんですよ。当時の日本の実情とアメリカの教科書の内容が乖離していたので、これは書き下ろすしかないということになったんです。そこで、いっそのこと、自分たちでケースを作りながら、そのケースを上手く転用して本にしようという企画が、ちょうど私が入社した頃に若干動き始めていたんですね。外部の人間も含めてプロジェクトチームを作って、入社後しばらくしたらいきなり、「じゃぁ、嶋田さんこのプロジェクトリーダーやって」と言われました。いかにもベンチャー企業でありそうな話ですよね。それまでに本を書いたことがあったわけでは全然ないんですけれども、プロジェクトをきっかけに本に携わることになったのです。
― オリジナルを出していくことになったのは、日本のベンチャーの特殊性が背景にあったんですね。
そうですね。元々、あらゆる科目で教科書が少ないんで、自分たちで作ってしまおうと考えていたところ、特にベンチャーがその乖離度が大きかったんです。そこで、書き下ろしの第一号として、『ケースで学ぶ起業戦略』というベンチャーの本を日経BPから1994年12月に出しました。その次に、書き下ろしで出版したのは『ベンチャー経営革命』という『ケースで学ぶ起業戦略』の第二弾的な本です。あと、研修教材を上手く活用した形で走らせていたのが『MBAマネジメント・ブック』*3でした。
1995年に出たのがこの『MBAマネジメント・ブック』と『ベンチャー経営革命』だったんですけれども、マネジメント・ブックは、私が入社する直前くらいから、大手通信会社向けの研修教材として少し動き始めていて、ショートケースも同時に作ったんです。研修テキストと言いますか、教科書がなかったので、戦略、マーケティング、アカウンティング、ファイナンス、人的資源管理といった経営の主だった分野で、コンパクトにまとめた教材を作ろうとしました。同時に出版社に話を持ち込みました。マネジメント・ブックについて、堀は「イメージしたのは参考書だ」とよく言います。参考書って、見開きで本当に見やすく作られているものが多い。ある意味、経営学の参考書といえるような、そういう分かりやすいものを作りたいなと考えていました。出版社との話を進めつつ、一方では実際の研修教材を作っていて、それを本に仕上げ、ダイヤモンド社から出版したのが1995年のことでした。
― 最初の反応はいかがでしたでしょうか。
最初は、ダイヤモンド社の社内で、特に営業の方がこんなの絶対に売れないと言っていたらしいです。こんなニーズは多分ないだろうと。でも出してみたら、良い意味で期待を裏切って大ヒットした。MBAの経営学に対するニーズが高いんだなということが、そのときに初めて分かったわけです。最初は総論的なマネジメント・ブックを出して、その次に、アカウンティングの本やマーケティングの本を出しました。
実は、『MBAマネジメント・ブック』を作った時点から、これをMBAシリーズという形でシリーズ化していこうという企画が初めからあったわけではないんです。アカウンティングの教科書、マーケティングの教科書については、別々に出すことを考えていました。アカウンティングの教科書を作るときは、同じダイヤモンド社のなかでも、マネジメント・ブックを出版した編集部とは違うところに企画を持ち込みました。ところが、突然、担当の人がお亡くなりになるという不幸があったんです。そのため、アカウンティングの教科書の企画が、マネジメント・ブックの編集部に引き継がれることになりました。それで、『MBAマネジメント・ブック』も売れたことだし、アカウンティングの本のタイトルは『MBAアカウンティング』にしましょうということになったんです。最初から狙ったわけではなくて、多少の偶然が作用したと感じています。その後は、どちらからともなく、このMBA関連のものを出していけば、ニーズが掘り起こせるんじゃないかということで、シリーズ化していくことになりました。
それから10余年を経て、現在ではアカウンティング、マーケティング、ファイナンス、経営戦略など計14冊で120万部が出ています。2,800円(本体価格)という価格は、非常に高価で、通常のビジネス書の倍ぐらいになります。10数年かかっていますけれども、毎年10万部ぐらいは動いていますから、大ヒットシリーズと言えると思います。アカウンティングを1996年、マーケティングを1997年に出版したんですけれども、その頃から、「出版はもう嶋田さんに任せたから」ということになりました。
当時はまだ、スクールのカリキュラムだとか、コンテンツ全般を担当しながら、出版のビジネス化を手掛けました。その後、会社がどんどん大きくなり、さすがにもう全部見切れなくなってきたので、いろいろなディビジョンが出来てきました。そのなかでは、出版は飛び道具と言いますか、たくさんの人にリーチすることができる事業です。100万人単位に教えるというのは、なかなかできませんけれども、100万人に本を読んでいただくことはできなくはない。ビジネス書だと数万部いけば結構なヒットだと言われますけれども、本当に大ヒットすると数十万部という単位になります。本が1冊ヒットすれば、それだけ多くの人に経営の知恵を届けることができますし、そうしていきたいという思いで、今は出版をメインで担当しています。
[撮影:大鶴剛志]
*3 2010年6月末時点で、MBAシリーズは、最初の『MBAマネジメント・ブック』から数えて14冊が出版されている。累計120万部のベストセラーとなった。