佐々木俊尚氏インタビュー

「キュレーターによる情報革命 ~情報流通の今と未来~」第3回

聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎

 『ブログ論壇の誕生』『電子書籍の衝撃』『キュレーションの時代』などの著者である佐々木俊尚氏は、IT業界・メディア業界のビジネス動向や未来像を鋭く分析する気鋭のジャーナリストです。著書だけでなく、雑誌やウェブメディアを中心に幅広く活躍されています。今回のインタビューでは、電子書籍市場の現状と未来像、Twitterやフェイスブックをはじめとするソーシャルメディアにおいて存在感を増しつつあるキュレーターの役割など、ウェブを取り巻く生態系がどのように変化していくのかお話いただきました。※本原稿は、2011年4月7日に行われたインタビューに基づき作成しています。

情報の世界で起きているキュレーション

― 言葉自体は使われていませんが、既に『インフォコモンズ』(2008年7月)や『ブログ論壇の誕生』(2008年9月)にもその概念は書かれており、数年前から「キュレーター」*15の重要性について触れられていますね。

 そうですね。『インフォコモンズ』という本は、かなり狙って書いた本で、今でも結構正しかったなと思っているのですが、出版した2008年当時は、あまりにも抽象的過ぎて誰にも理解されなかったんです。まだツイッターが広がっていなかったですし、SNSといってもせいぜいmixiが普及していたぐらいで、mixiなんて単なる日記の交換で、そんなところで情報が流通するなんて何言ってんだと、書いた頃は殆ど理解されませんでした。しかも書けば書くほど、どんなに分かりやすく書いても抽象論になってしまいました。その反省から、ツイッターとかが普及してきた今、抽象論を一切使わずに、具体的な文化や事象を引き合いに出しながら説明するというやり方で、『インフォコモンズ』で書いたような内容を書けば、理解してもらえるだろうと思いました。だから、『キュレーションの時代』は『インフォコモンズ』の改訂版でもあるんです。

― 数年前の時点でキュレーターの重要性に気付いたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

 ある程度の見通しというのは個人的にはありましたが、ただ、当時キュレーターのことまで書くとわからないので、時代が進むごとに、徐々に徐々に書くようにしていく方が良いということですね。ITやインターネットに関する漠然とした概念としては、大体10年くらい先まで見えている感じです。

― 「キュレーター」という言葉を初めて聞く方のために、改めてその定義を教えてください。

 「キュレーター」というのは日本語で言うと美術館の学芸員という意味です。世界中にある様々な芸術作品を集めてきて、それで並べて企画する役割です。つまり、作品として従来持っていた1個の意味ではなくて、集めることによって新しい意味がもたらされるということです。美術の世界では、情報を集めてきて、それに何らかの意味づけを与えて並べ替えることを「キュレーション」と言います。今後、そうしたことが情報の世界にもやってくるだろうというのが『キュレーションの時代』の主題です。今ではあまりにも膨大な量の情報が世界中に溢れています。その中から、いかに自分にとって必要な情報を得るのか、情報の振り分けみたいなものへのニーズが非常に多いんです。そういう振り分けがマスメディア的に一律になされるのではなくて、いろんな趣味とか、仕事とか、細かい圏域とか、それぞれで行われるようになるのではないかという未来像を書きました。
 アメリカでは2009年の終わりくらいから、たまにぽつぽつとキュレーションという言葉をブログやIT系のサイトで見かけるようになりました。以前は「キュレーション(curation)」で検索しても、そういう英語自体が出てこなかったんですけど、サイトを読んでいるとそういうことかと分かりました。それが2010年になるとあちこちで見かけるようになって、2011年の年明けくらいからは普通に英語圏のニュースサイトとかブログとかで書かれています。日本でパブリックに使ったのは多分この本が初めてです。

■膨大な数のキュレーションは、メジャーとインディーズの境界を破壊する

― 『キュレーションの時代』では、様々なアウトサイダーアート*16を紹介しながら、アウトサイダーはキュレーターによって発見され、「セマンティックボーダー*17」(自己の世界の意味的な境界)が絶え間なく組み替えられていくと、やがてインディーズとメジャーの境界は消滅していくと書かれています。創業期の起業家とベンチャー投資家の関係も同じだと思い、興味深く拝読しましたが、キュレーターの存在が今後ビジネスの世界に与える影響をどのようにお考えでしょうか。

 インディーズかメジャーか、アウトサイダーかメインストリームかというのは、結局チャネルの違いでしかありません。要するに、これがメジャーだ、メインストリームだというチャネルや枠組みはビジネス的に決定されているものなんです。言ってみれば、マスメディア的な枠組みです。膨大な数のキュレーションを行う世界では、その枠組み自体に意味はないわけです。音楽の世界で言えば、何がメジャーレーベルで、何がインディーズレーベルかは、聞いている方には意味がない。あくまでサプライサイドの問題です。ということは、キュレーションというものが普及してくることによって、アウトサイダーやメインストリームとか、メジャーやインディーズとかの違いは、全く消滅することになると思います。
 サプライサイドとして、今インディーズの音楽シーンでは、印税を50:50にしようという動きもあります。一方、メジャーレーベルの印税は3%とものすごく低いんですよ。それでは当然ミュージシャンは食えないわけです。例えば、アルバムを作っても1枚3,000円で1万枚売れたとして売上3,000万円、5人のバンドだとすると1人あたり手元に残るのは20万円にも満たないとか、ひどいことになるわけです。それではやっていけないので、インディーズでは印税を50:50にして、せめて1人何百万円かはもらえるようにしようとしています。
 そうすると、メジャーでCDを出すより、インディーズで出した方が良いじゃないかということになります。当然そういう動きが出てくるわけです。『電子書籍の衝撃』で少し書きましたけど、マドンナの例では、メジャーレーベルと契約を切って、ライブコンサートの運営会社と再契約することが実際に起きているんです。何のためにメジャーにいる必要があるのかという話になるわけです。結局、それぞれのミュージシャン一人一人がビジネスをしていくことになります。どこから流通させるかは受け取る側とのマッチングの問題です。だったら、メジャーでもインディーズでもどっちでもいいじゃないかと考えますよね。それこそ今後、売上を50:50で分け合いましょうというインディーズの取り組みが活発化してきて、メジャーから離脱しても成り立つんであれば、メジャーからインディーズに来るミュージシャンが出てきておかしくないわけです。

― 音楽業界で起きている動きは、当然、出版業界でも起こると考えられますか。

 出版の世界では、最近アメリカで加速していますけど、大手出版社でこれまで本を出していた作家が、出版社とは完全に関係なしに電子化して独自に販売するという動きがあります。今の日本の認識で言うと、大手出版社がメジャーレーベルで、電子書籍がインディーズだと思います。日本においてもアメリカと同じ方向に行かざるを得ないでしょう。
 かつては、大手出版社には権威があったわけです。講談社とか文芸春秋とかそういうところから本を出すことが偉いというイメージがありました。しかし、特に今のように電力が足りなくて、紙やインクも生産が追いつかないという状況になってくると、大手出版社から本を出すことをありがたがる必要や意味がなくなってきます。本来重要なのは、いかに読者とつながるかどうかということですので、今では出版社の権威に頼る必要が薄れています。大手から出すか、中小から出すか、あるいは電子書籍で出すかということは、チャネルを変えることに過ぎないわけだから、「最終目的が同じなら到達しやすいところから出す」という当たり前の結論にしかならないわけです。

■キュレーションとは供給者や代理店の視点ではない

― メジャーとインディーズの境界がなくなるということは、作品の価値を見出し、紹介するキュレーターの存在がより重要になるということだと思いますが、キュレーターはアーティストが生み出した作品のマーケティングをも担っていくと言えるのでしょうか。

 それは違います。キュレーションというのはあくまでもデマンドサイドであって、サプライサイドではないんです。雑誌の編集と違うのかとよく言われるんですが、雑誌の編集者はサプライサイドですよね。キュレーションは、基本的に視点位置が需要側、ユーザー側に立っているので、そこが圧倒的に違うところです。自分にとって欲しいものを単に取り上げているだけなんです。自分にとって欲しいものを得ていて、それを自分だけの趣味にしておくよりも、これは良かったよと言っているだけで、これは良いから皆さん見て下さいという編集者の仕事とは全然違うんです。

― キュレーションする対象領域にもよるとは思いますが、優れたキュレーターに必要な資質や個性についてはどのようにお考えですか。

 あまりお金儲けにならないので、職業的なキュレーターというものの可能性は低いと思います。例えば、私がツイッターで震災に関する情報を流していますが*18、あれを売って儲けられるかというと、多分儲けられないと思います。そういう意味では、キュレーションはビジネスではないです。広告を出すような形での、企業のブランディングとしてのキュレーションというのはあるかもしれませんが。
 例えば、キャデラックという自動車のブランドがありますよね。アメリカの事例で、キャデラックがどこかのデザイン系のサイトと提携して、そのサイト上でキャデラックのブランドを紹介する記事をキュレーションするということをしました。そうすると、キャデラックにとっては、自分たちが持っている専門性を消費者に伝えることによってブランディングでき、サイトから見ると、情報の価値や質が上がり、当然読者からするといい情報が得られるというわけで、そういう使い方をするのは良いかもしれません。ただし、キュレーションの話をすると必ず、「ビジネスになるか」とか「プロのキュレーターは現れるか」といった話になりますが、それはマスメディア的な発想なので違うと思います。あくまで、需要側、デマンドサイドの話です。
 キュレーションの場合は、1個1個のマーケットが小さ過ぎます。例えば、誰も知らないけどいい音楽を見つけたとしても、それをいい音楽と思ってくれるのは、殆どの場合は何十人とか何百人とかしかいないんです。情報を発信したマニアックなミュージシャンと、それを受けて何百人かの間で共有すればいいわけですよ。そこに代理店が絡んでビジネスをしようとした瞬間にビオトープ(生息空間)が壊れてしまいます。代理店はどうしてもサプライサイドから抜けられないので、コントロールしようとするわけです。そういうのはキュレーションの世界には向かない。バジェットも小さいですし。本当にCDを100枚、1,000枚プレスして売るだけの、そういう世界なんです。マスマーケティングはマスマーケティングでそのまま残ります。多くの人が欲しいものや知りたいことは当然あるわけですから。マスはマスでやっていけばいいんです。そうではないものも全部コントロール化においてビジネス化しようというのは、受け入れられないと思います。

■テクノロジーと社会や文化との接点は何か

― 『電子書籍の衝撃』に登場するセルフディストリビューターの音楽家まつきあゆむさんや、『キュレーションの時代』での福井の小さな眼鏡店「田中眼鏡本舗」やアウトサイダーアーティストたちなど、佐々木さんの本にはどちらかと言えば「メジャー」ではない数多くの事例が紹介されていますが、それらは本のために意識して集められたものでしょうか。それとも、もともと関心を持っていたものでしょうか。佐々木さんは本で取り上げる様々なエピソードとどのようにして出会うのでしょうか。

 基本的に本に出てくる事例は自分の好みのものしかないので、ある意味、自分がやっていることをそのまま紹介しています。わざわざ本のテーマに合わせて、アウトサイダーアートを勉強したとか、聞き出したわけではありません。文化というのはそういうものではないでしょうか。興味あるものをそれぞれが小さくやればいいんだと思います。私は「テクノロジーと社会や文化との接点は何か」ということについて一番興味を持っていますので、興味範囲が無限に広がっていく感じです。
 世間にはテクノロジーを社会と切り離して考える人がすごく多くて、未だにツイッターとかやっているとオタク呼ばわりする人とか一杯いますよね。それに対してすごく違和感を覚えます。
 1970年代は「政治の時代」、1980年代から1990年代は「経済の時代」、2000年代以降は「テクノロジーの時代」とよく言われますけど、要するに何が時代の基盤になっているかということを示しています。今は、テクノロジーが物事をドライブさせる時代です。そうすると、社会だろうが文化だろうが、全ての分野にテクノロジーの志向、発想、枠組みが浸透してくることになるので、テクノロジーと社会がどう関係し、テクノロジーによって何が変わってくるのかということは非常に面白い分野だと思います。切り離して考えるのがそもそも間違っています。

第4回へ続く

[撮影:大鶴剛志]

*15 美術館の学芸員という意味を情報の世界に援用した言葉。本インタビューでも詳しく解説されている。
*16 きちんとした芸術の教育を受けてなかったり、孤独な放浪者であったり、精神に障害があったりするプロでない人たちが、その時代の流行や美術理論に一切とらわれず、純粋な創作意欲に掻き立てられて表現した芸術作品のこと。『キュレーションの時代』では、ジョゼフ・ヨアキム、ヘンリー・ダーガー、アロイーズ・コルバス、八島孝一、田中悠紀など様々なアウトサイダーアーティストが紹介されている。彼らの独創的なコンテンツを見出し、コンテキストを加え、世に送り出す存在としてキュレーターの重要性が示されている。
*17 生命関係学(バイオホロニクス)の研究者であり、東大名誉教授の清水博氏が『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』で提唱している。動物や人間は、様々な情報の障壁を設けて、その内側でルールを保っている。この障壁をセマンティックボーダーと呼ぶ。つまり、セマンティックボーダーとは、情報のフィルタリングシステムとして機能するものである。
*18 佐々木氏はTwitter上で、大震災が発生した翌日の3月12日に「『傍観者』ではなく、義援金や節電や、さらにはソーシャルメディアで思いを届けることで『当事者』になる努力をしていくべきだと思います」とコメントした上、自らキュレーターとなって、毎朝、震災に関する情報をまとめて発信している。また、3月15日のツイートには「メディアリテラシーの低い家族や親戚に自分がキュレーターとなって非マスメディア情報を配信してあげる、という災害時の小さなキュレーション活動が必要なんじゃないかと思う」という、情報流通におけるキュレーターの必要性についてのコメントも見られる。なお、3月19日からは、Facebookのノートで「震災キュレーション」と題して、佐々木氏のツイートを一覧で見られるようにしている。

キュレーターによる情報革命 ~情報流通の今と未来~ 全4回