浜口隆則氏インタビュー

「起業の専門家が追求する未来 ~起業家を増やし、社会を幸せにする~」第1回

聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎

 株式会社ビジネスバンクグループ代表取締役であり、『戦わない経営』『社長の仕事』『エレファント・シンドローム』などの著者でもある浜口隆則氏は、起業家向けオフィス「オープンオフィス」を立ち上げ、レンタルオフィス業界を作ってきました。2012年、新たなステージに向かうためにオープンオフィス事業を譲渡。現在は起業家教育事業をはじめ、起業を総合的に支援する事業を展開されています。インタビューでは、創業から現在に至るまでどのような思いでどのように事業を発展されてきたのかお話いただきました。※本原稿は、2013年5月20日に行われたインタビューに基づき作成しています。

■日本の起業環境を良くして、起業家を増やす

― 昨年12月に出版された『エレファント・シンドローム』は、改めてではありますがとても良いご本でした。2008年6月に書かれた『「心の翼」の見つけ方』を改題・加筆、再編集されたものですが、社長、起業家、経営者向けに書かれてきたこれまでのご本とは少し違い、「数千人の起業家を見て気づいた成功と幸せに関する法則」を、経営に関わる方々以外にも向けて書かれた初めてのご本ではないかと思います。何か特別な思いがございましたらお聞かせください。

 『エレファント・シンドローム』は、「メンタルブロック*1」をテーマに書いた本です。社会に出てから、特に自分の事業活動を通じて気付かされることが多かったのですが、私達は思い込みによって、物凄く自分のポテンシャルや力を制限されているなと気づいたんです。私自身の経験から、メンタルブロックを捨てれば捨てるほどうまく生きられるようになったという実感があったので、どこかで伝えたいという思いがありました。『戦わない経営』にしても『仕事は味方』にしても、今までこうだろうなと思われていた常識とは違うことを提案しているのですが、その集大成みたいなものです。

― 起業家・経営者向けの本の中で、「社長は幸せの専門家」と書かれていますが、「幸せ」とういことについてどのようにお考えでしょうか。

 人間は基本的には幸せを求めていると思います。不幸せを求めている人は少ないと思いますが、幸せになるのが怖いという人もいますので万人と言うと語弊があるかもしれませんが、人は皆幸せを求めているということは、経営という活動自体もそれに沿ったものでなければいけないと思います。だから、経営は「幸せ」を追求すべきだと考えています。

― 1997年2月に28歳で創業され、日本で初めて起業家向けのオフィス事業「オープンオフィス」をスタートされました。15年以上にわたり事業を拡大され、レンタルオフィス業界そのものを創り、昨年、ロンドン市場に上場している業界最大手Regus(リージャス)にオフィス事業を売却されました。創業当時は一般的にお金がないと思うのですが、大きな投資を必要とするオフィス事業を選ばれたのはどうしてでしょうか。また、スタートアップの起業家を顧客にしようと思ったのはなぜでしょうか。

 独立する前は会計事務所に所属していました。その時にいろいろな経営者にお会いする機会があって、たまたま良い経営者にお会いさせていただくことが多かったからかもしれないのですが、経営者は社会のリーダーなんだなと思ったのです。私がお会いした方々の多くは、地域社会を良くしたり、自分が関わる人達に良い影響を与えている人でしたので、こういう人たちが世の中にもっと増えていかないといけないと思いました。会計も起業家や経営者のお役に立てるので有意義な仕事ですが、起業家を増やすためには起業環境をもっと良くすることが必要ではないかと思ったのです。
 当時は、日本の起業環境は決して優れているとは思えませんでした。事業アイデアを100個近く考えて、その内の30個くらいはラフな事業計画を立ててみました。さらにその中から有望なものを一桁に絞った上で、一番最初に選んだのがオフィスの事業でした。ミッションが先にあったので、儲かるからという発想で選んだのではありません。

― 起業環境の中でも、オフィスが一番不足していて、課題が大きいと感じたのですか。

 いろいろな側面から考えて、オフィス事業から始めました。起業支援は創業期の起業家を対象としていますので、ある意味、お金のない人からお金をもらわなければいけないわけです。だから、安定した収入が見込める事業じゃなければいけないと思ったのです。オフィス事業は立ち上げはすごく難しいのですが、一旦うまくいき始めるとそれなりに安定しますので、オフィス事業を柱に据えることで、自分達がやりたかった起業環境を整える他の事業も展開していけると考えました。
 今だったらオフィス事業を最初の事業には選ばないですね。当時は、うまくいくと思っていて根拠のない自信だけがあったのです。いざ始めてみると大変苦労することになりました。

― 長野の一号店について教えてください。どのくらいの規模で、初期投資にどのくらいかけたのでしょうか。

 長野駅から車で15分くらいのところにある3階建てのビルの1階、50坪くらいの広さで始めました。前職の会計事務所の自社ビルです。前職では、自社ビルの開発担当もしていたので、土地探しから担当し、周辺の立地についてよく理解していました。駅から少し離れていましたが、地方都市は車社会ですから、駐車場があり、車で来れる場所の方がニーズが強かったのです。
 最初は12室でスタートし、後に改装して8室にしました。当時は、独立した人やフリーランスの人が好きな時間帯だけ利用できるようにもした方が良いのではないかと思い、オフィスとして提供するだけでなく、シェアスペースのような時間貸しもしていました。他にもビジネスコンビニを併設したり、必要とされるだろうなと思うことは色々やりました。ですので始めは、東京進出後しばらくしてから固まったオープンオフィスの形態とは違いましたね。
 資本金は、有限会社として創業したので300万円です。立ち上げには、1,000万円程かかりました。前職の社長にビルの保証金は無しで契約してもらい、内装費や併設したビジネスコンビニの設備費用で1,000万円くらいかかったわけですが、最初はお金が全くありませんでしたので、リース会社と契約しました。社長が保証人になってくれたのでリースにできたのです。連帯保証してくれなかったら、絶対に審査を通らなかったです。
 創業して半年くらいはコンサルティングなどの別の仕事をしながらオフィスの開設準備をし、1997年11月に、その最初のオープンオフィスを開設することができました。

― 創業された当時のメンバーのことについてお聞きしたいと思います。専務の阪東さんはニューヨークの大学の同級生とのことですが、どのような経緯で創業に参加されることになったのでしょうか。

 小さな資本金で創業しましたので、少ない人数で始めるべきだったのですが、阪東を含めて4人で始めてしまいました。阪東とは大学時代、一つだけ同じ授業があって4カ月、毎週、顔を合わせていましたが、それでも基本的には挨拶程度でした。それ以外では、国別のサッカーの試合で一緒になったり、酒場で一、二度一緒になったり、就職の相談を受けたりしました。当時から自分と全然違う人だなと感じていました。起業する時のパートナーは、自分には無い力を持っている人が良いと思っていましたので、彼はパートナーの一人として良いかもしれないなと思いました。創業前、阪東に「こういうことをしたいと思っている」と話をしたところ、彼も乗ってきてくれて創業に参加してくれることになったのです。
 もう一人、現在、取締役をしてくれている滝沢という者がいます。彼は、私がいた会計事務所の新卒採用に応募してくれた学生でした。私が採用を担当していたのですが、私と一緒に仕事をしたいと言ってくれて、卒業後はその会計事務所に入社する予定でした。けれども、彼が入社する前に私は独立して会社を始めていたので、私が引き取ることになって創業間もない会社に入社することになりました。私が28歳、阪東が27歳、滝沢が23歳、他に事務の人が1名、計4名で始めました。会計事務所では、入社2年目の4月から取締役をしていました。創業してからもしばらくは、そのまま取締役を続けて、事務所を間借りさせていただいていましたので、事務は会計事務所で採用している方に共通でお願いしても良かったのですが、一緒に仕事をしたいという人がいたので4人目のメンバーとして採用しました。
 後から、会計事務所の社長に聞いた話ですが、オフィス事業は立ち上げが非常に難しいので、私が独立して、もしうまくいかなかったら戻ってくれば良いと、何年かは待っていてくれていたようです。事実、最初は本当に何もかもがうまくいかず、大変な苦労をしました。

第2回へ続く

[撮影:大鶴剛志]

*1 人間が何か行動等を起こす場合に、出来ない、ダメだ、無理だと否定的に考えてしまう思い込みによる意識の壁、あるいは抑止・制止する思考のこと。メンタルブロックをかけ続けると、結果として何もしなくなる(何もできなくなる)といった状態に陥る。

「起業の専門家が追求する未来 ~起業家を増やし、社会を幸せにする~」全4回