「次世代に紡ぐ想い。~滴から大河に。渋沢栄一の教え~」第1回
聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎
■これから10年の日本を考える
―最近、日本企業の国際競争力の低下が著しく、グローバルに展開するメーカーが信頼を失ったり、世界における日本の課題が浮き彫りになってきているように感じます。私の周りにもこのままでは日本の企業は厳しいと思っている方が多くいますが、渋澤さんは今後の日本企業について、どのようにお考えでしょうか。
この先の10年、20年、30年で、日本の人口って減るじゃないですか。日本が衰退するということではないのかも知れないですが、人口が減ってきて、経済成長が横ばいのときには、平均的な企業にはあまり魅力を感じなくなると思うんですね。高度成長の時は平均的な企業でも良かったと思うんですけれども、今はそうじゃなくなってきていると思います。
先日、コモンズ投信*3のセミナーにお招きした組入れ銘柄の企業で、建設機械のコマツ(株式会社小松製作所、東証1部:6301)という会社があります。同社は、2001年度に初めて赤字に転落したのですが、坂根正弘さんが社長(現在は代表取締役会長)に就任してリーダーシップを発揮し、ダントツ商品に集中することで業績を回復させたんです。平均的に全て良くするんじゃなくて、自分たちが強いところに集中して徹底的にやった。その後、業績の向上にともなって株価もかなり回復しています。やはりこれから10年、20年、30年を考えると、会社もそうですし、日本社会もそうだと思うんですけれども、平均でかさ上げしていくのではなく、強いところが引っ張っていくんだと思います。そこを応援することが大切だと思うんです。でも、そういうことは、日本人にとって抵抗があるのかも知れない。日本人の一つの感性というか、考え方なのかもしれないのですが、「出る杭は打たれる」って言うじゃないですか。でも、これからの時代は、出る杭のような会社や人がどんどん社会に出てきてもらわないと、にっちもさっちもいかないと思うんです。ですから、杭が出てくることをすごく期待しています。
―2004年に「シブサワレター」を出版されたときと比べて、現在はどのように社会が変化しているとお考えでしょうか。
「シブサワレター」は、1998年から2004年にかけて、私の頭の中を整理したもので、いわゆる「失われた10年」を見て書いたものなんです。「失われた10年」は、いつから始まったのか考えると、一般に1990年代と言われていますけれども、おそらく1992年に日経平均が大きく下がった段階くらいから始まったと思います。2000年とか2001年までが10年だとすると、この「失われた10年」は、考え方によっては必要な10年だったと思っています。どういうことかというと、元に戻れないことに気づくために必要な10年だった。1990年から2001年くらいまでにドーンと株価が下がっていたときには、「何とかすれば元に戻るだろう」という期待が多分あったと思います。でも、1998年に金融危機があり、10年経って気がついてみたら元に戻れないことがわかった。それが2001年までの10年だと思います。
次の10年は何かというと、「失われた20年」と言われ、おそらく元に戻れないことがわかっているなかで、何かしなきゃいけないと考えてきたんだと思う。状況を変えようと、いろんなものを取り入れ始めた10年だったんじゃないかと。でも、何かしなきゃいけないと言いながら、実際には何も動いていなかった。ようやく、そのひとつの答えとして、昨年の政権交代につながったんだと思います。
2010年から始まる10年では、「何かやってみようよ」と行動することが期待されていると思います。10年かけてやってみて全然だめだったら、ごめんなさいって感じかもしれないですけど(笑)。そういう意味で、これからの10年はすごく大切だと思うんです。「元に戻れないことはわかった。だから、何かしなきゃいけないと考えた。じゃ、何かやってみようよ」と。それを引っ張っていくのが、出る杭のような存在じゃないかと思います。
―そうしますと、これからも日本経済としては厳しい状況が続くだろうけれども、良い会社は必ずあって、そこが引っ張っていく可能性は十分あるということですね。
あると思います。あるいは、そうなると思います。
■「多様性」がキーワード
―一方、世界経済も激変していますが、今後の世界はどのようになるという見通しをお持ちでしょうか。
世界を考えると、少し大きな話になってしまいますけど、20世紀は一神教的なひとつの価値観によってすごく豊かになった世紀だったと思います。無駄や矛盾を省いて、合理的に生産性を高めてきました。それによって、日本やアメリカ、あるいは欧州といった先進国と呼ばれている各国が、概ね同じペースで豊かになった世紀だと思うんです。要するにグローバルスタンダードとはこういうものだと定義され、一つの価値観が共有されたのが20世紀だった。21世紀になると、日本みたいな成熟社会もあれば、中国やインドのように高度成長を続けている国もあり、成長するにはもう少し時間がかかるという国もある。そのような中で21世紀は、インターネットや携帯電話でみんながつながってしまった。20世紀では、お互いのことをなんとなく分かっているけど遠い国、という距離感がありました。でも今は、遠い国の誰かがインターネットを通じて目の前に現れてしまうという時代です。「お互いの存在がつながっている」ということは、逆説的に見えますが、21世紀のキーワードは「多様性」だと思うんです。
何かひとつの価値観が正しいということではなくて、いろんな考え方や価値観があると。多様性というとポジティブに聞こえるかもしれないのですが、言い換えれば、混沌とした時代だということです。ある意味軍隊的に、一つの価値観によってリーダーシップを発揮できる時代ではなくなってきたと思う。いろんな人がいて、まさにネットに象徴されるように、あるテーマではこっちでつながり、違うテーマではあっちでつながるというような社会になった。こうした社会のリーダーシップというのは、ひとつの価値観ではなくて、多様な価値観を持ちながら、こっちにいかなきゃいけないよね、と説得する力が必要とされます。リーダーシップを発揮するには非常に難しい時代に入ったと思います。多様性を取り込むような会社とか、社会でなければ、21世紀は繁栄できないのではないかなと思います。
―世界においては、日本も多様な価値観のひとつだということでしょうか。
そこがポイントなんですけど、日本ってもともと同質感というか、昔は日本人しかいないみたいな感覚があったじゃないですか。でも今は、日本自体がかなり多様化してきていますよね。
たとえば、身近なところでは小学校です。私の子供たちが通っている小学校は、私が小学2年生のときまで通った学校と同じなんですが、入学式の写真を見ると変化がよくわかります。私が子供のときの写真にはお母さんしか並んでいない。ところが、子供たちの写真を見ると両親ともに式に参加していたり、お父さんだけが来ていたりする。私のときは日本人の子しか並んでいなかったのに、今では外国人の子がいる。公立の普通の学校ですよ。実は、40年ぐらいの間で比較しても、かなり多様化してきていることが分かります。
もう一つの日本の特徴として、海外から入ってきたものを取り入れて自分たちのものにすることに長けているということが挙げられると思います。「論語」と「算盤」はもともとはどちらも中国ですし、仏教はインドですよね。食べ物で言えば、カレーパン、カレーうどんなんて、すごいですよね。組み合わせがめちゃくちゃじゃないですか(笑)。だけど、すごくおいしい。多様なものから良いものを取り入れ、混ぜ合わせても、なんとも思っていない。良い意味で、日本人はそういう感性を持っている。
21世紀は必ずしも日本が衰退するのではなくて、多様なものを受容するという日本人の感性が一番活かせる時代なんじゃないかと思うんです。そう考えると21世紀も捨てたものじゃない。ただ、今の日本人は、本来持っている自分たちの良さを忘れているのではないかと思います。
[撮影:大鶴剛志]
*1 渋沢栄一について(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)渋沢栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) – 昭和6年(1931年)11月11日)は、幕末の幕臣、明治~大正初期の大蔵官僚、実業家。第一国立銀行や王子製紙・日本郵船・東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。参照:ウィキペディア(wikipedia)
*2 渋沢栄一が第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を創立した際、日本で初めての銀行だったため、銀行について国民に理解をしてもらおうと広告をつくった。その一文「しずくのようなお金が銀行に集まれば国家の原動力となる」からの引用。
*3 独立系投信会社。一般の生活者からも、投資先の企業からも心から喜ばれる本格的な長期投資を行い、両者の長期的な関係構築を支援している。また、この支援をホスピタリティ=「おもてなし」の精神をもって実践している。参照:コモンズ投信株式会社HP